ASKAへの愛を語る 5 めぐり逢い 〜 SAY YES 〜 16 / 101 ( その2 )

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今夜も「歌になりたい」MVをループ再生しています

 

視聴しながら胸に思い浮かんだのはヘレンケラー の言葉でした。

 

 

英文法、ルターの提案|Three Days to See ヘレンケラー 「もし3日間目が見えたら」

 

Three Days to See ヘレンケラー 「もし3日間目が見えたら」

 
ときどき考えてみているのですが、
万が一、明日死ぬとして、一日一日を生きる、
っていうルールにしたら素敵なんじゃないかと。

 そういう態度なら、
人生の価値がしっかりわかると思うのです。

一日一日を
やさしさと
熱意をもって
味わって 生きなくてはと思うのですが、

時間が自分たちの前にダーッと伸びていて、
これから続く日々、年月がやってくる光景が
パノラマのように延々と広がっているとなると、
そういった熱意はなくなってしまうものです。

 

もちろん、
「食べて飲む、それで幸せ」という
エピキュリアンのモットーを採る人もいるでしょうが、
ほとんどの人は
これから訪れる死の確かさという思いに
さいなまれているのです。

 

物語の中では、
死の危機にある主人公が
間一髪で運良くパッと助かったりしますが、
ほとんどいつもと言っていいほど、
そこで主人公の価値観が変えられてしまいます。

 

主人公は
生きている意味と生命の霊的な価値が
よくわかるようになります。

 

死の影を恐れてながら生きている、または、生きてきた人は
自分がしているすべてに
じわっと甘美さを感じると
いいますね。

 

しかしながら、私たちのほとんどが
生きているのは当たり前だと思っています。

 

いつか死ぬとは知っていますが、
死ぬ日は未来のかなただと思い描いています。

 

元気だと、
死ぬというのは想像しがたいものです。
ほとんど考えない。

 

限りない展望となって日々が広がっています。

 

だから、くだらないことをこなしてバタバタしていて、
自分が人生をないがしろにしている態度でいることに
ほとんど気づきません。

 

同じように無気力だな、と思うのは、
私たちの身体機能や感覚機能の使い方です。

 

耳の聞こえない人だけが聞こえるとはいいことだとよくわかっており、
目の見えない人だけが目が見えることにあるさまざまな恩寵がわかっているのです。

 

こういった見立ては
大人になってから目が見えなくなった人や耳が聞こえなくなった人に
特にあてはまります。
 
しかし見えなくなったり、聞こえなくなったりしたことのない人は,
こういう恩寵とも言える身体機能を十分に使い切れていません。
 
こういう人の目や耳は、
集中せずに、そして味わうこともほとんど無く、
ぼやーっと見える物や聞こえる物を取り入れています。
 
失うまでありがたみがわからない、
病気になるまで健康を意識しない、
というのと同じ話です。
 
私はよく考えるのですが、
大人になりたての頃にいつかは数日間
見えなくて耳が聞こえなくなる
というように人類がなっていたら、
それこそ神の恩寵になるのではないでしょうか。
 
何も見えなければ見えることのありがたみがわかりますし、
音が聞こえなければ音が聞こえる楽しみのなんたるかを教えられるでしょう。
 
今までよく、目の見える友人たちに何が見えているかをテストしています。
 
最近、訪問を受けたのですが、
森を散歩してきたばかりだと言う友人に、

なにか目新しい物はあったかと訊きました。
 
「いいえ、特にないわよ」と彼女は答えました。
 
そういった答えになれていなかったなら、
いぶかしく思っていたかもしれません。
というのは、まえまえから、目の見える人って、
ほとんど見えていないんだなーと思っていたのです。
 
なんでそうなるのかなー、と思うのですが、
1時間森を歩いて
気に留めるようなものが何も目に入らないなんて。
 
私は、見えないけれど、
ちょっと手に触れれば面白いことが何百とある。
 
1枚の葉っぱを触れば
線対称になっていて繊細なさまがわかるし、
 
アメリカシラカバのツルツルした木肌や
松のごつごつした樹皮に
やさしく手をあてたりします。
 
春には、芽が出ていないかなーと木の枝を触ります。
木の芽は自然が冬の眠りから覚めた初めのしるし
ですから。
 
草花のベルベットのような手触りは触っていて楽しくなりますし、複雑なさまが新たに分かります。
そして自然の奇跡が私に啓示されるのです。
 
ときおり、運がよければ、
やさしく小さな木の上に手を置いて、
鳥が鳴いてブルブルとゆらすのを感じることがあります。
冷たい小川の流れを
手の指を開いてさーっと通らせるのも気持ちいい。
私には、松のトゲトゲや青々とした、ふかふかの芝生の方が、ペルシャじゅうたんよりいいの。
私には、四季折々が野外劇のように繰り広げられるのが、
スリリングで終わることのないドラマで、
その動きが私の指の先を流れていくの。
 
よく、私の心が「すべてのものが見たい」って叫び出すの。
ちょっと触っただけでこんなにうれしいのなら、
目が見えたらどんなにもっと美が明かされるはずだと。
でも、見える眼がある人は明らかにほとんど見ていない。
世界を充たしている色彩や動作のパノラマは当たり前だと思っている。
 
自分が持っているものはあまり楽しまず、
持っていないものを求める、
というのが人間らしいのかなー、
でも、もったいない(great pity)よ、
光ある世界で目に見えるという恵みを単に用足しに使うなんて。
人生に充実感があるように使おうよ。
 
もしも私が大学の学長なら
「目をどうやって使うか」を必修授業で設けたい。

学生の前を気づかないまま素通りしていってしまうものを本当に見ることによって
人生に楽しみをいかに加えうるかを教授は教えようとする。
そして教授は学生の寝ぼけてどんよりした能力を覚醒するの。
 
 おそらく、上手く描写するには、私の目を使えるようにしてもらったとして、いちばん何が見たいかを想像してもらうといい。
うーん、3日間だけ見えたとして。
私の方も想像しているあいだ、
あなた方も3日間だけ見えるという設定で
自分自身の目をどう使うか頭で考えてみて。
3日目の夜の闇が近づいてくると、
太陽はあなたのために2度と昇らないということを
自分で知っているわけですが、
そうなったらその貴重な3日間をどうやって使いますか? 
あなたの眼差しを何にいちばん向けていたいですか?
 
 当然ながら、私は見えない年月を通して愛しく感じているものをいちばん見たいです。
あなたも当然ながら愛しいものを長く見つめたいですよね。
そうすれば、迫り来る闇夜を前にしても
その愛しいものの記憶を持っていられるでしょうから。

 

 

  

今夜あなたに感想を返信するつもりでいたけど、想いがまだうまく言葉に出来ずにいます。

 

考えがまとまるまでもう少し時間を下さい。

 

もう少し聴き込んでからあらためてお伝えしますね。

 

f:id:KimiyoLondon:20180110234922p:plain明日は婦人科の検診で朝早いので、もうそろそろおやすむねf:id:KimiyoLondon:20190928184954g:plain

 f:id:KimiyoLondon:20180628143137p:plainまた明日ねf:id:KimiyoLondon:20190604032037g:plain

 

 

 

 P.S.   I   LOVE  YOU

エントリー ありがとうf:id:KimiyoLondon:20190604032037g:plainf:id:KimiyoLondon:20190926090132g:plainf:id:KimiyoLondon:20190926090128g:plainf:id:KimiyoLondon:20180708140233g:plain

 


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